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1 2007年 12月 28日
![]() A: “機能美”って存在するわけやから、まちがってないんやろうけど、“こそ”ってのはどうかねぇ。“機能的なもので美しいものもある”とか? K: それやったら弱すぎるんやろうね。 オットー・ヴァーグナーの“実用的でないものは、美しくありえない”は? A: ドイツ語かなんかの翻訳でしょ?“~でないものは、~えない”って・・・・・実用的なものは美しいって言っちゃうとつっこまれそうやからってこと? K: ルイス・サリヴァンの“形態は機能に従う”は? A: 特になんにも考えずにものづくりしたらそうなるってこと?ある意味正しいかも。 K: ル・コルビュジエの“機能はデザインに一致する”は? A: “一致する”まで言っちゃうとちょっと同意できないような・・・・・でも言葉としては強くなるよね。 K: 丹下健三の“美しいもののみ機能的である”までやられちゃうと、ある種のマイッタ感が出てくるよね。 A: 確かに。とやかく言えん域にまでいっちゃうよね。 K: 個人的には最も共感できるのはアルド・ロッシの“形態は機能構成とは完全に無関係”かな。つまり、機能とはまったく無関係な形態によって美しさが存在することもありえるってこと。もちろん機能美ほど美しいものは無いって感じることもあるけど、そうじゃないこともあるということを真正面から認めることも重要なような気がする。 A: なるほどね、よくわからんような言説でごまかすんじゃなくってね。 K: そうそう、我が家のアレッシィのアルド・ロッシがデザインしたコーヒー・メーカー、破損して機能的な存在意味はなくなっても美しかったよ。 A: 場合によったら破損することによってはじめて美しくなるものもあるぐらいやもんね。 (参考:アルド・ロッシ著『都市の建築』 田中純著『都市の詩学』 ▲
by kabuhaus
| 2007-12-28 22:59
| 建築
2007年 12月 20日
![]() A: やっぱりこのプロジェクト、模型も含めてインパクト強いもん。 K: 太陽光、雨水だけじゃなく風力も利用やで。外部も内部も仕上げは“各種膜材”やで。つっこみどころ満載やけど、真剣なプロジェクトっていうところこそ最大のつっこみどころやね。 A: これってSDレヴューってことは、もちろん実施が前提のプロジェクトなんでしょ。 K: うん、時間をかけてでもつくっていくらしい。時間をかけていく間にこじんまりするんじゃなく、逆にとんでもない方向に発展しそうな予感さえしてしまうプロジェクトやね。 A: 植物が育つにつれて、それを避けるように上下左右に広がっていくとか? K: もちろん周囲の土地も買収しながらでしょ?審査員の元倉眞琴さんや工藤和美さんがプレゼンテーションで“ノリ”の部分が感じられなかったのがちょっと違う、みたいなことおっしゃってますが、“ノリ”やったら多くの人がやれるかもしれんけど“マジ”ってところがすごいねんで、このプロジェクト。 A: そのあたり、審査員の伊東豊雄さんは期待されてるようなコメントやね。“最近の若手になかなかいないタイプ”って。 K: やっぱり芦澤さんが関西で活動されてるっていうのも一因かもね。東京って建築家の活動も活発やし新しい潮流も出てくるし、なによりみんな結構仲がいいような印象を受けるのがうらやましいところやけど、関西はやっぱりいろんな意味での“毒”や“キチ〇イ”は表出しやすいんちゃうかな。 A: 建築家で言うと、吉田保夫、安藤忠雄、渡辺豊和、毛綱毅曠、高松伸とか? K: 好き嫌い、かかわりたいかかわりたくないは別としてもね。“いいもの”は東京から発信されるけど“とんでもないもの”は関西から発信されることが結構あるんかもね。 A: 良し悪しを超越してね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-12-20 18:17
| 建築
2007年 12月 14日
![]() 雑誌『site zero / zero site no.1 特集“<病>の思想 / 思想の<病>”』に掲載されている、藤本壮介設計の『情緒障害児短期治療施設』、『T house』、『Tokyo Apartment 』などの建築についてのインタヴュー。“アルコーブが幾つも集合することから全体を発想する”とか“姿”という言葉で象徴される“形のない形”、“距離を設計する”など示唆に富む発言を多数含んでます。 “建築的にしか作りえない全体と部分の関係が存在する”建築の例としてル・コルビュジエ設計『ユニテ・ダビタシオン』を挙げ、“物質としての存在とぴったり重なり合うように、透明な、というか、太さのない線による、純粋な幾何学のヴォリュームが見えた”と述べ、フランク・O・ゲーリー設計『レイ&マリア・スタータ・センター』には“あまりに複雑なので自分はすべてを理解できないという感覚と同時に、とても居心地がいいという感覚が出てきたんです。”という印象も。 “ある部分を体験しているだけなのに、それが含まれている全体の成り立ちのようなものが、一気に見えるような体験がありえる”つまり“ひとつの場所を見た時に全部の成り立ちがなんとなくわかる”という建築的な経験をふまえて“世界の成り立ちをつくりたい”とも。 ミース・ファン・デル・ローエ設計『ベルリン国立美術館』に対しては“ミースが好き”と言いながら、“一目で見えてはいけないものまで、全部が見えてしまったような感じ”で“世界のすべてが解き明かされてしまった”ような“異様な感覚”という記述も、なんか妙に納得してしまいます。 ▲
by kabuhaus
| 2007-12-14 17:41
| 建築
2007年 12月 09日
![]() 陶芸作家で建築家住宅愛用者(?)でもあり日本で最も有名な建築事務所のひとつA事務所での勤務経験もお持ちのFさんからいただいた情報でオープンハウスに出かけることに。 ただ、その時点では住宅の所在地のみでどなたの設計のどのような住宅かも知らずに現地へ。 この辺ちゃうかってあたりのコインパーキングに車を止めたところ同じパーキングにFさんの緑色のVWが。「やっぱりこの辺や」 目的地はおそらくこのブロックのはず・・・・・・・・ってことで探したところ、建築家主催のオープンハウス(おそらく)のため張り紙等一切無く、表の扉も閉じられているため中をうかがい知ることができない住宅が一軒。 なんでわかるんやろ?でもどう見ても建築家設計の住宅が一軒。 「ぜったいここや」ってことで中へ。 ![]() コンクリート打ちっぱなしの美しい住宅。 バランスのいい天井高とかなり練られた感が伝わってくる開口のとり方、やはりさすが建築家住宅。 ただし、建築主さんの意向と設計者のやりたい形(一般の方の常識と建築家の常識も含め)との兼ね合い、つまり落としどころに苦労されたのではないかというところも(あくまでも想像ですが)。 そのあたり、“住まいにおける本当の快適性とは?”という永遠の主題を引っ張り出すことになってしまうので、ここではひとまず退散。 壁のクロスは?立派なシステムキッチンは?一分の隙も無いユニットバスは? じゃぁ反対にコンクリート打ちっぱなしは?間仕切りの少ない構成は? そこでバランスは?落としどころは?・・・・・・・・・・ ▲
by kabuhaus
| 2007-12-09 21:29
| 家づくり・住まい
2007年 12月 06日
A: たまにあるよね、アクロバティックな建築家住宅。
K: あまり意味の無いその後の住宅につながらない前衛住宅は論外として、建築主や敷地条件から導き出されたアクロバティック住宅やアヴァンギャルド住宅(美術に詳しい方から“前衛”や“アヴァンギャルド”という言葉の使い方のゆるさを指摘されそうですが)はありやけど、ここでの“実験住宅”っていうのはそのあたりだけじゃないよ。もちろん“見るからに”っていう実験住宅もあるけどル・コルビュジエの“ドミノ・システム(写真)”も近代建築の“カーテン・ウォール”も“実験”やったわけやし、数奇屋やパッラーディオもまちがいなく“実験”でしょ。 ![]() K: どの分野でも言えることやろうけど数多くの実験の結果現在のスタンダードが存在するわけやしね。 A: ただ建築主の立場としてどの程度まで実験住宅を受け入れることができるかやね。 K: そうやねん、もちろん過去の技術や構成を熟成させる方向の住宅も美しいやろうし重要やろうけど、建築技術や場合によったら建築論も発展させてしまうような建築も住宅分野でも可能やろうし、そのあたりの建築主の立ち位置は難しいかもね。 A: 歴史上無数の設計者によって無数の実験が住宅分野でも繰り広げられた結果が“今”なわけやからね。でも現実的にはよっぽどの建築主じゃない限り、“小さな実験”しか受け入れられへんのやろうね。この場合でも予算や土地の形状から“大きな実験”を施さない限り“建たない”っていうのは別として。 K: それでいいんちゃう?あくまでも“よりよい住まいのための実験”なわけやから、個人が犠牲になるような実験は考えんでもね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-12-06 14:30
| 建築
2007年 12月 05日
タイトルは石川啄木が1910年に『硝子窓』の中で発した言葉・・・・・・・・といっても石川啄木のこの小編を読んだわけではなく、松山巌が『住み家殺人事件 建築論ノート』(みすず書房)の中で引いていてひっかかった言葉。
![]() 近代以降の“知的な仕事”が“手仕事”を奪うことにより住宅からも“静かで秩序をもった生活の場”が奪われていき、“利便さを守るために自閉化した”住宅と“私生活さえ丸はだか”にされた住宅が増えてきてしまった。“未来が見えそうで見えない自閉化した若者たちの心理を映す透明な壁”として当時の新素材であり“透明でありながら空気や声や匂いを遮断する”板ガラスを重ねとったというくだり。 また幕末から明治初期の日本における“プライバシーの欠けているような住まいから、プライバシーを守っていた”日本人の“礼儀作法”についてのくだりなど、エッセイとして広く一般に読まれるべき本です。少々タイトルがやりすぎなのと、書店における書棚のチョイスが難しそうなところで損をしている気はします。(松山巌さん、東京芸大の建築科出身で『乱歩と東京』、『うわさの遠近法』、『建築はほほえむ』等の著作で有名な評論家・小説家) ▲
by kabuhaus
| 2007-12-05 13:54
| 建築
2007年 12月 01日
だいたいジャンルとして【狭小住宅】や【ローコスト住宅】がなぜ存在してしまうのか。
だって“狭い家”とか“安い家”なんてどう考えてもほめてないわけやし、 普通そんなところに自分の家がジャンルわけされてたらいい気はしない。 ・・・・はずなのに、実際はそんなこともなく妙なよろこびさえ感じてしまう人、結構多いような。 そこにはキーワードとして“始末”や“工夫”や“得”などが見え隠れするわけ。 つまり「こんなに狭い土地(または安い金額)で工夫しながらいろんなものを上手に始末してお得な家を建てた」ことに対する充実感と自慢。 ただし本当にそれだけのことなら第三者が“魅力”とまでは感じないはずで、 おそらくそこには個々の住宅の“自我”が現れやすいのでは。 限られた広さと限られた予算で建てられる住宅にとって、当然「何を省くのか」が重要になるわけで、特別な才能を持ち合わせていない建築主や建築家にとっても思い切って個性を際立たせることができる状況が整っているということなわけでしょう。豪邸はすべてを取り入れてしまう余裕があるが故に特別な才能がはたらかない限りぼやけた家になってしまう危険性が高いということです。 今月号の雑誌『新建築住宅特集』の特集のタイトルが“都市の小さな家”。 ![]() 経済的にも敷地にも余裕があるのにお金も敷地も少ししか使わない、安普請ではなく美しい【狭小ローコスト住宅】をもっともっとみてみたいものです。 ▲
by kabuhaus
| 2007-12-01 14:02
| 家づくり・住まい
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