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2007年 04月 29日
![]() A: いきなり‘ダサさ’って言葉がダサいわけやけど。 K: ん?なんかそれ以外の言葉が浮かばんかってん・・・・わかる?この感じ。 A: う~ん・・・・ K: 建築も含めたデザインって、勉強さえすれば大部分のデザイナーは‘カッコイイ’ものなんかすぐにつくれちゃうわけでしょ?我々一般人はその‘カッコヨサ’にだまされがちやけど、一般人もいつまでも‘馬鹿な一般人’をやってるわけにもいかんから、だんだん気づいちゃうわけ、‘ただのカッコよさ’に。 A: なるほどね、音楽なんかでも‘カフェブームもんのカフェ’なんかでかかってそうなボサノヴァの中にも‘ホンマモン’と‘表層モン’があるってことでしょ?だから猫も杓子もボサノヴァちゃうやろ?みたいな。 K: ・・・・・・ちょっと喩えが古いような気もするけど、そういうこと。だから‘カッコヨサ’を取り除いたときに本当にいいと感じられるものが残るのかどうか。我々‘馬鹿な一般人’にとってそれって結構難しいわけ、ちゃんと本質を覗けるかどうか。 A: だからこその‘ダサさの中のカッコよさ’なわけ? K: うん。少々ダサいほうが自分が何に心地よさを感じてるのか見誤らないってことかな。 A: でもむっちゃデザインされたもんとか結構好きなくせに。 K: ・・・・・・でも徐々にそこに行くと思うよ。 A: ただ、それにしても‘ダサさ’って言葉づかいがどうも・・・・ K: わかった。じゃあ‘カッコわるさの中にこそカッコよさ’これどう? A: ・・・・・・禅問答ちゃうねんから。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-29 22:04
| 建築
2007年 04月 28日
![]() A: そうやよね。単なる‘建築好き’の場合、‘ヨーロッパ近代建築が好きやったら陸屋根ばっかり’とか、‘ぐにゃぐにゃな現代建築好きやったら、屋根って何?壁って何?’かもしれんよね。だから日本建築の‘屋根’とか‘天井’とか‘壁’とかあんまり知らんし、ましてや‘畳縁’とか‘床柱’にいたっては?????って感じやもんね。 K: ただ、一般誌やから、‘わかりやすく一言で説明する’ことに徹してる感があるから、興味を持ったらもっとその分野の本をもっと読むべきなんやろうけどね。 A: でも入り口としてはいいわけでしょ?これで。 K: この本見てても感じるのは、やっぱり日本建築って‘内部空間’なんやろうね。建築全体のヴォリューム感とかとらえにくいもん、日本建築って。あと、近代建築に慣らされた目で見ると、やっぱりちょっと屋根の形状とかにひっかかるところが・・・・・でも内部空間はむっちゃ興味あるよ。 A: でも‘知らないと恥ずかしい’ってことはないと? K: うん、‘知らんでも生きてける’けど、まぁそんなこと言わず日本建築も楽しまなね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-28 17:22
| 建築
2007年 04月 26日
![]() 建築家との家づくりではよくある話です、両方とも。まず、初期の打ち合わせの時点での工期や予算はあくまでも‘予定’でしかないわけです。なぜなら、ハウスメーカー等とちがって打ち合わせの初期段階では‘まだ何も決まってない’のが建築家との家づくりの常だからです。ただこの時点で工期や予算面で‘安請け合い’してしまう建築家は‘論外’。また、一度打ち合わせで納得したはずのことをずっと後になってから簡単に変更してしまう施主も‘論外’。 ただそれ以外にも細かな‘甘え’が横行するのはどうしたもんでしょうか。まず、工期や予算を初めから‘最悪’の数字で言ってしまうと話自体が流れてしまうかもしれないという考え方。確かに新幹線の建設なんかの‘歴史的プロジェクト’では予算をゼロひとつ少なく言うとかも必要かもしれませんが、あくまでも‘個人の住宅’の話でしょ? あと、一つ一つ施主の話を聞きながらのものづくりだから当初の工期を超えても仕方ないという考え方。それも含めてしっかりと工期を把握するのも建築家の職能なわけです。だってどんなにすばらしい案でも期日が過ぎれば大学の課題もコンペ案も受け付けてもらえないわけですよね。 建築家が初期段階で工期と予算をしっかり見通して勇気をもって施主に告げることと、‘これぐらいの遅れはしゃーないかな’っていう業界の雰囲気を一掃しないとね。「〇〇の事情で、竣工の遅れについては甘えさせてもらえませんやろうか?」なんていう工務店の方の言葉なんて‘キキタクナイキキタクナイ’なんですよ、ホント。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-26 17:14
| 建築
2007年 04月 25日
![]() A: それってどういう意味で?施主がいいと思ってたらいいんちゃうの、どんなデザインでも。 K: それはちがうやろ。仮に設計の段階で施主がOK出したとしても最低限の居住環境はまもらなあかんし、もっと言うと家族も含めた施主が本当に生活していける居住環境かどうかの判断を設計段階できっちりやっとかな。 A: う~ん、そう言われればそうかもしれんよね、引き渡して「はい、それまでョ」じゃなくてその後の生活まで見通すっていうことやね。 K: 1年も経たずに当然のように雨漏りするとか、砂漠並みに気温差があるとか、外から丸見えとか。あと、複数の施主に訴えられる建築家とか考えられへんよね。 A: まぁそこまで行かんでも、ことごとく施主と気まずくなってしまう建築家とかね。 K: なんで快適な居住環境を確保した上で実験的建築を提案しようと思わへんのかなぁ。 A: やっぱり難しいからちゃう?でも、それをやらんから「もう建築家なんかこりごり」なんて声が上がったりするんやろうね、残念やけど。 K: 建築家と施主のコミュニケーション不足も一因やろうけど、「家が完成したからこの施主とは多少ぎくしゃくしてもいいかな?」じゃ困るわけで、そんな施主をつくってしまったら建築家に設計を依頼する人なんてどんどん減っていくよね。 A: だからいつまでたっても建築家に依頼するのは『‘デザイン’や‘ケンチク’に付加価値を見出す‘お金持ち’』か『変わり者』か『狭小地か変形地に建てる人』あたりがほとんどなんやろうね。 K: そう、もっと建築家に仕事をやってもらうためにも、‘しっかりとコミュニケーションをとる’(口の上手さにまかせて自分のデザインを押し付けない)ことと‘快適な居住環境をつくる’ことをしっかりやった上で‘価値のある提案をする’ってことなんやろうね。もちろん、簡単なことではないけど、我々もしっかりお手伝いして住宅も含めた建築全般を‘ホンマモンの建築家’の手によるデザインで埋め尽くしたいよね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-25 20:51
| 建築
2007年 04月 24日
![]() 我が家はこの大黒壁のおかげで、‘ゆれない’(我が家の隣はトラック、バス、ダンプカーががんがん通る幅8mの道路なんですが、工務店の大工さんも施工中ゆれないことに関心されてました) ‘広い’(10坪ほどの床面積にもかかわらず、大黒壁と外壁内以外に柱が無いので広々感じる) ‘居心地がいい’(中央に大黒壁があるため、視界が抜けきらないので広く感じながらも居場所が多い)。 この‘大黒壁’という形式をこれまでどれだけの住宅が採用してきているのかは知りませんが(設備を閉じ込めたコアを構造に使う形式も含めると結構採用されているような気もします)我が家の場合ゆれの克服や狭さの解消などの必要性から、構造上少し工夫が必要な‘大黒壁’を採用しているわけで、(建もの探訪の住宅も構造設計は少しややこしそう)建築の設計は発明と違ってこれまでだれもやったことの無い設計のみがいい設計ではないわけだからそのあたりのバランスも設計者には必要なんでしょう。ただ、‘大黒壁’にしても建築家が設計する住宅以外では検討すらされないんでしょうけどね。 (写真はkabuhausの‘大黒壁’ 撮影:市川かおり) ▲
by kabuhaus
| 2007-04-24 13:25
| 建築
2007年 04月 23日
昨日の日曜日、器屋Tabathaの春企画のお手伝いを抜け出してOPEN HOUSE に行ってきました。建築家・細田みぎわさん設計の住宅『Sun』。
場所は兵庫県三田市のニュータウンを抜けた篠山市の手前。快速で大阪まで約50分。にもかかわらずそのあたりの土地の坪単価は阪神間の人気エリアの住宅地(商業地でなく)の1/50程度。なんなんでしょ?この違い。ちなみにどちらの公用語も日本語。それどころか同じ県内です・・・・・・う~ん。 本題の住宅『Sun』。周辺環境と呼応するかのようなおおらかな構成の住宅で、家族構成の変化に対応してボックス状の個室も設置できそうな、変化を楽しんでいけそうな建築でした。ディテールにも建築家設計住宅らしいこだわりや手わざを感じることができました。 最近ハウスメーカーの住宅や工務店設計の住宅でもシンプルでかっこよくデザインされた住宅はよくありますが、やっぱり建築家設計の住宅とは‘なんか違う’わけです。それはそういう住宅の設計が納期の問題(予算よりも時間の制約)から‘大多数の人’が好むデザインをどこかに(頭の中、場合によると実際にリストアップして)‘用意’しておいてそれらを組み合わせるような作業を知らず知らず(場合によると確信犯的に)行なっているからではないんでしょうか。そのあたり‘ホンマモン’の建築家は一つ一つ考えてデザインするため、‘なんか違う’建築になるんでしょう。だって人って、大部分の箇所については‘大多数の人が好む’デザインでよくても、家の中のどこかには‘自分だけの特別な’デザインを必要としているものなんですから。 ![]() ▲
by kabuhaus
| 2007-04-23 15:44
| 建築
2007年 04月 21日
![]() 担当:建築家・河井敏明氏(一級建築士事務所 河井事務所 主宰) 日時:5月19日(土) 午後2時~午後4時 場所:カブハウス 西宮市獅子ヶ口町7-28(阪急甲陽線苦楽園口駅徒歩10分) 定員:8名(要・予約) 費用:お一人1000円 お申し込み: TEL 0798-71-2886 メール kabuhaus@rd5.so-net.ne.jp HP http://www.kabuhaus.com 建築家とテーブルを囲んでの勉強会です。今回担当していただく河井さんは個人住宅、デイケアセンター、集合住宅(マンション等)、コンバージョン(建築の全面用途変更のコト)と幅広く建築の実践を行なっておられます。わかりやすい語り口の中に‘住まい’や‘家づくり’のヒントを数多く感じ取っていただける勉強会になると思います。 河井敏明氏略歴 1967年 芦屋市生まれ 1993年 京都大学大学院建築学専攻修士課程修了 1994年 AA School,London 1995年 中村潔、植南草一郎、馬場徹らと建築少年設立 1999年 河井事務所設立 2005年 グッドデザイン賞受賞(YANAGINOBANBA WORK-SITE) ▲
by kabuhaus
| 2007-04-21 14:22
| kabuhaus
2007年 04月 20日
![]() K: 建築のジャンルに‘アンビルト’なんてのがあるなんて、よう考えたら無茶やんね。 A: そう言われれば建築やのに‘建ってない’やもんねぇ。 K: ‘建つかいなアホ’とか‘建たんかったんじゃボケェ’とか? A: 誰もそこまで言ってないけど・・・・ K: でもそこんとこ‘建つかいな’と‘建たんかった’のちがいも重要かもね。 A: あぁ、はじめから実現することを考えてないプロジェクトと、結果的に実現せんかったプロジェクトの違い? K: そう。前者がブルーノ・タウトの『アルプス建築』とかミースのガラスの高層ビルとかアーキグラムの『ウォーキング・シティー』とか、後者がテラーニの『ダンテウム』とか。 A: 建築って‘経済’や‘サイト’や‘タイミング’や‘技術’や時には‘政治’なんかも関わってくるから絶妙のバランスでしか成りたたへんから大変やよね。 K: でも、それでこその魅力もあるわけでしょ?建築には。実現を前提としてないプロジェクトの自由な発想のおかげで建築の発展もあったんやろうけど、個人的には結果とか前提条件はさておき実現可能性っていうのは大きいポイントやねんけど。 A: 絵空事には魅力が無いと? K: そうじゃなくって、技術的な裏づけのある絵空事にこそ魅力を感じるというか。例えばアーキグラムでもピーター・クックの『ウォーキング・シティー』のおおらかさというかオバカサン的魅力というか、それよりもマイケル・ウェブの『シン・センター』とか『ドライブイン・ハウジング』とかの「あれ?これって練っていけば実現したりするんちゃうのん?」みたいな方に魅かれるかな。 A: なるほどね。あと、アンビルトばっかりの建築家はどう? K: ぎりぎりのところを攻めて結果アンビルトとか、扇動のためあえてアンビルトとかはいいけど、アンビルトの鬼みたいな感じで作品として完結させちゃってるのはまた違うジャンルってことになるんちゃうかなぁ、建築家とちがって未建築家とか不建築家とか無建築家とか。 A: ・・・・・・そのあたりの微妙な気持ちの差異が魅力の有無にもつながるってことなんやろうね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-20 13:14
| 建築
2007年 04月 19日
![]() K: 家づくりの喩えで以前から言われてる、建築家に依頼するのが‘オートクチュール’でハウスメーカーに依頼するのが‘プレタポルテ’っていうのやっぱりちょっと違うよね。 A: うん、感じるのは家づくりには‘プレタポルテ’にあたるつくり方がほとんど存在してない。あと、‘セレクト・ショップ’も。 K: ‘建築家に依頼する’=‘オートクチュール’っていうのは当てはまるかもしれんけど、‘ハウスメーカーに依頼する’っていうのと‘プレタポルテ’は違うよね。ハウスメーカーって言っても規模も考え方も技術もまちまちやから一括りにはできへんけど、我々が考える‘建築家の仕事’があまりにも感じられへんからね。 A: ハウスメーカーは建築資材の工業化を徹底して、施工技術の安定化っていうの?全国どこの工務店でも施工できるような技術開発やって、安価で堅牢な住宅を安定供給するってことでしょ? K: そう。そこに余分な高級感漂う(漂うだけやけど)内装材なんかいらんよね。そのへんは施主側のデザイン知識の欠如が問題やろうけどね。ちょっとデザインかじったらわかると思うねんけど・・・・ A: 家建ててから、ちょっとデザインに興味持っちゃって。で、後の祭りみたいなね。 K: 話戻すけど、‘建築家’っていうのは職業じゃないわけで、四六時中建築やデザインのこと考えてて、考えるだけじゃなくかなりの精度で最良の答えを導きだすような人たちなわけでしょ? A: そこには当然才能や努力はもちろんのこと気持ちも併せ持ってないと成り立たない存在やよね。 K: そう。大企業のハウスメーカーや組織事務所の中にもそんな人結構居られるんやろうけど、どうしても企業の論理か利益主義かなんか知らんけど薄まっちゃうよね、‘建築家の仕事’が。 A: 要は‘建築家の仕事’が感じられる‘プレタポルテ’や‘セレクト・ショップ’をもっと増やしていって、家づくりの主流にしたいってことでしょ? K: わかってるやん。最近腕上げたんちゃう?話の的を当てまくりやん。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-19 15:23
| 建築
2007年 04月 16日
![]() K: 浮遊感のあるデザインって言ったりするけど・・・・・・ A: もちろん軽くて浮かんでるっていう意味じゃなくでしょ? K: だって軽くて浮かんでたら‘浮遊してる’って言うでしょ?‘感’じゃなくて。ま、好き嫌いは当然あるだろうし、良し悪しの話でも無くてその‘つくられ方’の話。 A: 軽い感じがするわけでしょ?柱が細いとか壁が薄いとか柱や壁の素材感が弱いとか。 K: そう。でも実際に弱いのと弱く感じるのとは別物なわけで、一つ一つは弱いけど集まりでの強度はあるとか、見た目は弱々しいけど本当の強度はかなりのものとか。いろんな考え方があると思うけど、個人的には普通以上の強度を持ちながらも浮遊感を感じられるデザインじゃないとあかんちゃうのん?っていう。 A: ぎりぎりの強度でおさめてしまうんじゃなく? K: そう。30年持てばいいや、とか。場合によったらどうせ建て替えとかになるんやから10年そこそこ持てばいいかな、とか。そんなことじゃ建築はだめでしょ? A: 仮設に近い店舗とかはそれでもいいかもしれんけどね。 K: ‘建築’と言いたいんやったら‘この浮遊感で100年’みたいな。 A: ‘こんなペラペラやのに1000年’みたいな? K: それは言い過ぎやけど・・・・・・ A: ・・・・・・じゃぁ‘この軽さで250年’にしとくわ。 ▲
by kabuhaus
| 2007-04-16 00:03
| 建築
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