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1 2010年 08月 07日
![]() twitter を使うようになってから以前ならばブログにアップしてたであろう内容も twitter 上の無数の短文の一つとして消え去っていく。 それはそれでいいんだけど、ちょっと思い立って、しかもかなり遡ってブログしていくことに。 まずは4月~5月にかけて開催された京都のrad の『トラフ展』。 4/29にはトラフメンバー鈴野浩一さんのギャラリートークも。 市販もされている紙でできた『空気の器』が多数の特別バージョン中心に展示された様は爽快。 広げ方や見る角度によって変化する色と形。 早速市販バージョンを購入しました。 ![]() ![]() ▲
by kabuhaus
| 2010-08-07 14:06
| デザイン
2009年 10月 11日
![]() 10月31日(土)と11月1日(日)の2日間(午前10時~午後5時) 堺の大仙公園で開催される『第1回堺クラフトフェア“灯しびとの集い”』 選考委員には小泉誠さん、sajiの仲宗根さん、grafの服部さん、etcが名を連ね、300組近い応募の中から選ばれた60組の作家さん(+招待作家さん)たちによるクラフトフェアです。 31日(土)午後2時からは重要文化財・高林家住宅において小泉誠さんとガラス作家の高橋禎彦さんによるトークショーも開催されます。(要・予約、締め切り間近) Tabatha 取り扱い作家の池田優子さんも出展されます。 ▲
by kabuhaus
| 2009-10-11 15:07
| デザイン
2009年 09月 22日
![]() 9月18日(金)~20日(日)の3日間、大阪・中之島で開催されたデザインイベント。 3日間でのべ2000人近く集めたという大盛況。 ![]() レクチャー、対談、シンポジウムやデザイナー・建築家によるプレゼンテーションなどトーク系イベントを中心にプロダクトや建築のEXHIBITION、デザインショップなど刺激に満ちた様々な仕掛けが用意されていました。最終日しか参加できなかったため初日の木村松本のプレゼンテーションや2日目夜の藤村龍至さんや松岡聡さんらによるバトルは聴けず。(良品計画の金井社長のレクチャーは超大盛況だったもよう) ![]() これだけの数のトーク系イベント(20本近く)があれば、なかには消化不良な議論やお決まりのその場だけのうけ狙い(イニシャルトーク的なものなど)、ご自分の仕事の紹介を詰め込みすぎたプレゼンテーションなど、個々人の技量不足が露呈してしまう場面も見受けられはしたものの、このような仕掛けを打ち、しかも盛況に導いた事に対しては最大限の賛辞を送るべきでしょう。(個人的には倉本仁さん太田拓実さんYasukoBellさんのプレゼンテーションは楽しませていただきました。) ![]() 最後の対談中ジャーナリストの加藤孝司さんがおっしゃっていたデザインに対する“愛”の重要性。ぼくは“愛”という唯一無二な言葉にはピンとこないのでデザインに対する“思い入れ”と置き換えて聞いていました。(そう、思い入れは時に思い込みに変化する危うさをもつので) ![]() ただ“愛”というと、最後の最後でややぐだぐだになりかけたところで挙手し、前の質問者の発言に疑問を投げかけ場を盛り上げていた藤村龍至さんには“愛”を感じました。(主催者に対するものなのか広く議論の場に対するものなのか) ![]() 多くのイベントが単発や短命に終わる中、緊張感や存在意義を持ち続けるかどうかはこれからの展開しだいなわけですが、それは主催チーム(柳原照弘、家成俊勝、原田祐馬、水野大二郎、多田智美)の課題というような次元ではなく、(幸か不幸か)その場の空気を吸ってしまった我々の展開力が問われているということを自覚していくべきなんでしょう。そう無責任や移り気がこれまでどれだけ多くの状況を葬ってきてしまったことか。柳原さんの「デザインの状況が無いところにいかにしてその状況をつくるのか」という言葉を考えてみるのは決して無駄なことではないはずです。 ▲
by kabuhaus
| 2009-09-22 15:10
| デザイン
2009年 05月 03日
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by kabuhaus
| 2009-05-03 15:09
| デザイン
2009年 05月 03日
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by kabuhaus
| 2009-05-03 15:00
| デザイン
2008年 03月 04日
![]() K: 当然、難しいよねこの判断。 A: 主観の部分で・・・・ K: 例えば住宅の場合、住まい手が“残すべき”と判断すれば所有者が変わらん限りどんなに醜い住宅でも残すべきなんやろうし。 A: ただその場合、つまり客観的にみても醜いんであれば所有者が変われば当然取り壊されるわけやろうけど、集合住宅や公共建築の場合判断が難しいよね。いろんな価値観が存在するわけやから。 K: ただ、個人住宅でも明らかにすばらしい住宅でも価値のわからん所有者によって取り壊されて行ってるわけでしょ。もちろん機能面で劣るとかメンテナンスの問題とかがある場合は設計に問題もあるやろうけど、快適な住環境を提供していてデザイン面も優れているのに、“ただ土地代だけで”購入した人が“なんもわからん”と取り壊すってのはどうかと。 A: 微妙な建築も結構あるけど、建築に興味を持ってたら“明らかに壊したらあかんやろ”って思える建築がばんばん壊されていってるよね、ぺなぺなの建売住宅と同じような勢いで。 K: 確かに建築家が設計した住宅の汎用性の問題ってのもあんねんけどね。これからはそのあたりもしっかり設計して、数世代住み継いでいくっていうこと考えんとね。 A: 建築家住宅は住み継がれて、ぺなぺな住宅は取り壊されていくっていう流れね。 K: そう。建売住宅も、それはそれで堅牢で安価というところを追求すべきやしね。ハウス・メーカーのプレハブ住宅ももっと安価にすべきやろうし。 A: とにかく住まい手はもっと賢くなりましょうよってことやね。 ▲
by kabuhaus
| 2008-03-04 14:31
| デザイン
2008年 02月 15日
K: よく話題に上るけど、“建築”と“インテリア・デザイン”について。
A: 建築家の仕事とインテリア系のデザイナーの仕事の違いでしょ? K: そう。“好き嫌い”や“良し悪し”の問題はさておき、明らかに“違う”よね。 A: もちろん、仕事として内装関係をやってても“建築家”な方はおられるし、単純に技術的(経験的?)な問題で内装の仕事しかできへんでも“建築家”な方もいてはるけどね。 K: そうそう、そういう部分じゃなくて感覚の部分。なんなんやろ?この違いって。 A: よく言われる“歴史を知ってる”のかどうかってこと? K: それもあると思うよ。単なる流行だけでデザインしちゃうとデザインの耐用年数の問題があるでしょ?そのあたり、歴史を押さえた上でのデザインだと、どこかで崩れない部分っていうか飽きない部分を保てるのかもしれんよね。 A: 数年経っても寒くならないデザインでしょ? K: ただ、飽きなくて耐用年数が長くても、必ずしもいいデザインってことではないわけでしょ?新しいデザインの流れを切り開いてなおかつ耐用年数も長いデザインを生み出すには、単に“歴史を知ってる”だけじゃ難しいんやろうね。 A: あと、“建築家”的な人のなかで、必要以上にデザインを消そうとする人いてはるよね。 K: “ベニヤの壁”とか“ただの裸電球”に象徴される?高いレベルのデザインのために細かな部分では“デザインされてない”ってことを重視するわけでしょ? A: そう。カッコいいねんけど(時として)、建主が嫌がったらどうするんやろ。 K: 「そんな方は私に設計を依頼しないでください」ってことでしょ? A: うん、まあデザイン好きの素人ってバランス考えずにごちゃごちゃいろんなもん使いたがるからいややろうけどね。 K: でも確かにロジェールやミーレやガゲナウはカッコいいし、イームズやミースやブロイヤーの椅子置きたくなるし、ライトやジャスパー・モリソンの照明付けたくなるよね。(写真はフランク・ロイド・ライトの『タリアセン』とジャスパー・モリソンの『フロス』) ![]() ![]() A: 確かにタリアセンとフロスを同じ部屋にっていうのは・・・・ K: そうかなぁ。案外いけるんちゃう?うちなんか結構いけそうやん。実際フロスは付けてるし。そのあたり、確かに本気で“デザインを消した建築”をデザインしようとしてる建築家もおられるやろうけど、“めんどくさいからデザインされたものを排除してる”だけの人も結構いるんちゃうかなぁ。とりあえず自分のデザイン以外のものはバランス考えんの邪魔くさいとか。 ![]() A: 建築の場合、対建主の問題もからんでくるから、難しいよね。 K: 答えのない世界やからね。 ▲
by kabuhaus
| 2008-02-15 14:06
| デザイン
2008年 01月 03日
![]() オリヴェッティ・ヴァレンタインのデザインの革新性については同時代を生きたデザイン関係者に任せるとして、“ヨーロッパ”に根を持つデザイナーが“アメリカ”を加味されたときに時として生まれるすばらしさはなんなんでしょうか。ノイトラ?シンドラー?あ、ミースも?この辺りの時代はまたちょっと違ったか。 それにしても“メンフィス”というネーミングはすばらしい。“ナシュビル”でもちがうし“セント・ルイス”もぜんぜんちがう。やっぱり偶然じゃなく“メンフィス”なんでしょう。 その辺の感覚はエルビス・プレスリーからじゃ当然無く、アル・グリーンやO.V.ライトやソウルチルドレンからも貰ってるイメージなわけです。 ![]() ▲
by kabuhaus
| 2008-01-03 21:18
| デザイン
2007年 08月 07日
![]() A: 人それぞれの“普通”があるわけやから難しいよね。 K: 以前うちの家が建ったとき、建築じゃないデザイナーの人が土間の蛇口(安価でお湯と水が2個の樹脂のハンドルに別れているやつをわざわざ十字のハンドルに変えたもの)を見て、「蛇口は普通のにされたんですね。」って。確かに昭和30年代やったら“普通”やったかもしれんけど、昭和40年代でも新築の家の水栓のハンドルは樹脂やったと思うねんけど。 A: “普通”ってのは育った環境やその分野への思い入れや造詣の深さや趣味嗜好、場合によったら民族や風土なんてことも考えなあかんから一言では語られへんよね。 K: デザインに限らずなにかの分野を勉強していくっていうのはある種“標準”としての“普通”を頭の中に作らされてるのかもね。そのほうが話しが通じやすいから楽でしょ(笑)。あと、標準をわかったうえでわざと外さないと恥ずかしいとか。 A: そうか、だから発展途上国からとんでもないクリエーターが出たりすることがあるんやね。 K: 逸れたから話をもどすけど、じゃあ、“普通のデザイン”と“いちびったデザイン”はどっちがいいのか? A: う~ん、それは難しい。好みの問題ちゃう? K: 確かにそこそこのレベルやったら“好み”で片付けたらいいと思うけど、突詰めていったら結論らしきものには行き着くんちゃうかなぁ。どっち? A: “いちびったデザイン”って言葉悪くない? K: じゃぁ、“いきったデザイン”。 A: なんか名称の時点で悪意を感じるけど・・・・“普通のデザイン”と“斬新なデザイン”は? K: まぁ、いいけど。どっち? A: “斬新なデザイン”の方がいいかなぁ。じゃぁどっちなん? K: “レベルの高い斬新なデザイン” “レベルの高い普通のデザイン” “しょうもない普通のデザイン” “しょうもない斬新なデザイン” の順かな。 A: そんな細かい分け方もあり? K: でも“普通のデザイン”って言ってもとことん“普通”に徹するのと、どこかで“センス”を主張するのとで変わってくるし・・・・・ A: ほら、結論なんて出ぇへんって。 K: “完全に自分を消した普通のデザイン”もいいかもしれんし・・・・・・ ▲
by kabuhaus
| 2007-08-07 15:53
| デザイン
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