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2009年 09月 05日
![]() 行きたかったけれど都合がつかなかった。 塚本さんの講演会は何回か聞いているのだけれど、「次からは行かんでもいいかな」と思わないですむ数少ない建築家なので行きたかった。 そのレヴューがアーキフォーラムのHPに掲載されている。 執筆者は山崎亮さん。 なんか読みやすい、わかりやすい。 建築家や建築学者の文章って難解なものが多いけど、やっぱりそれって読者としての建築関係者を意識しすぎてるんじゃないかって思う。もちろん専門家の目にも耐え得る文章であるというのは大切だけれど、多くの人に目を向けさせる力の無い文章でもいいのだろうか。 その点山崎さんは“多数”なのか“一般”なのか“大衆”なのかわからないけれども、そのあたりに対する意識がしっかりしているのか。(もし無意識としたら、そういうところに根ざしているんでしょう) 講演を聴いていないなかでも第4世代の住宅という考え方はかなり共感できそう。“家族以外の人が家の中にいてもおかしくない場所がある”って、うちも1階で“家族と器屋”が共存し2階は元キッチン&リビングがcaféになり、家族のスペースがなくなりつつある。 これには少々問題もあるわけだけれども、住居の進化の過渡期と考えれば妙に納得できる。 ▲
by kabuhaus
| 2009-09-05 14:47
2009年 08月 23日
![]() 中之島のアートエリアB1でのシリーズ、オルタナティブ・カフェの『メディアのオルタナティブ』に行ってみる。 通りすがりでもいきなり発言できてしまいそうなゆるさが心地いい感じ。 メデイアの使い方というか選び方が細分化されてしまって、以前のように話していて「あ、この人きっとプレイガイド・ジャーナル誌読んで行動してるんやろうな。」とか「この感じ、ブラック・ミュージック・リヴュー誌読んではるわ。」とか、建築雑誌でも『群居』を愛読している人の独特のにおいとか、そういうのが薄れているのかも。 でも、個人でライブ・ハウスのスケジュールを集めてつくっているフリー・ペーパーが人気、とかいう話を聞くと、飽和と細分化があるレヴェルまで進むと、一巡して以前のようなつくり方をするメディアをみんなが求めだすのかも、という気も少し。 ▲
by kabuhaus
| 2009-08-23 13:56
2009年 08月 03日
![]() BMC(ビルマニアカフェ)さんによる2日間限定の復活“クラブ・リバーサイド”。 岸田日出刀設計による(詳細不明)昭和40年竣工のリバーサイドビルディングの最上階(5階)の空室を利用した2日間(7/31,8/1)限定のバー。ずっと営業してもよさそうなぐらい盛況です。 ![]() 土佐堀川沿いに建つ高速道路の柱脚を参考にした構造を持つ奥行きのないぺらぺらな板のような建築。 ![]() 両側の窓を開けていれば鳥も通過していきそうな気持ちのいい部屋です。 賃料10数万円で貸し出し中ですから、興味のある方はどうぞ。細長いので数人で事務所としてシェアするっていうのもいいかも。 ▲
by kabuhaus
| 2009-08-03 12:45
2009年 07月 26日
![]() 先日の研究会以降、気になって南後由和さんの考察等を手元の雑誌などから読み返してみる。 『動物化するグラフィティ / タトゥー “都市 / 身体の表面への偏執”』(10+1 no.40 2005年) 『笑う路上観察学会のまなざし“都市のリズム分析に向けて”』(10+1 no.44 2006年) 『“鼎談”アルゴリズムで表層と深層を架橋せよ 柄沢祐輔+南後由和+藤村龍至』(10+1 no.47 2007年) 『「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?③歴史・メディア編』(10+1 no.49 2007年) 『都市リテラシーの構築技法 コンスタントのニューバビロン×建築界(1)』(SITE ZERO / ZERO SITE no.1 2007年) 特に読み返して興味が広がっていくのがSITE ZERO誌の連載。 ますますアンリ・ルフェーブルの『空間の生産』を読みたくなったけど、アマゾンのレビューで日本語訳がヘロヘロみたいなこと書いてあるけど・・・・どうなんざんしょ? 60年代前半までの空中都市計画の掲載書としてミッシェル・ラゴンの『われわれは明日どこに住むか』が紹介されていて、そういえば10年以上前、上本町の古書店のワゴンセールで購入したような・・・・その時一緒に購入したのが黒川記章著『都市デザイン』、100円なり。 そういえば南後さんのレクチャー、丹下健三と黒川記章の有名性についてが主なテーマでした。 ▲
by kabuhaus
| 2009-07-26 14:52
2009年 05月 10日
![]() 確かに突っ込みどころ満載で、カットごとに昼・夜ごちゃまぜ、俳優のベラ・ルゴシが撮影中に亡くなったことから生前撮ったドラキュラ映画のシーンの使いまわし、など挙げれば限り無し。 そもそも宇宙人(地球にあるだろう言語翻訳コンピューターとやらを頼る情けない連中)が地球人に対して共存することををあきらめ、最後の手段“プラン9”を決行するというお話(プラン1~プラン8がどんなものだったのかはみんなで想像しよう)。その作戦の中身は死体に電極をぶちこんで生き返らせて地球に混乱を引き起こそうというもの。 DVDを一人で観てしまった場合、後悔することうけ合いなんだけど、映画館で観た場合、観客席を見回して「ようこんな映画わざわざ観にくるわ、この人ら」と、自分のことは棚に上げて呟くという楽しみ方もあるかも。 今回、全員合わせて6人での鑑賞でした。 ▲
by kabuhaus
| 2009-05-10 20:59
2009年 04月 25日
![]() 内容についてはやや興味の対象からははずれるものの(“グラフィティ”“沖縄の暴走族”“ストリートダンス(結局この内容についてはほとんど発表されず)”、討論の中にあった“こんなフィールドワークをやっていてなんになる?”という意見については、小中学生がよく言う「こんな勉強やって将来何の役にもたたんでぇ」と言う意見とあんまり変わらんような気が。 様々な事象に興味を持ち関わっている人たちの、何を心地よいと感じているのかを知るということは、すまいづくりに必要な“合理的なものの中に非・合理的なものを世間の慣習の中で(合理的に)つくる”ということに繋がっていくんじゃないかと、最後はやっぱり自分の興味の対象にひっぱりこんで納得するといういい性格がでちゃいました。 ▲
by kabuhaus
| 2009-04-25 23:25
2008年 09月 14日
京都のPRINZで開催中です。(10/13まで)
怖いもの知らずなほどの遊び心、家具におけるデザイン製作両面でのクォリティの高さ・・・・・あと安さ。 『壁の椅子』は完成度も高くデザインのヴァリエーションも展開しやすく“看板”としての役割を担える作品。 『rolling sofa』、『big chair small desk』、『棚の椅子』などはアイデアはもちろん、日常に持ち込んでも“使える”作品。 他に食べこぼしを絵画作品にしちゃおうっていう『canvas table』や照明器具を撮影しただけのDVDを実際に部屋の照明につかっちゃおうという“遊び”も楽しい。 まだ若い作家さんなので、これからの活動は未知数といったところなのでしょうが、家具以外の分野への展開も視野に入れての作品群なんでしょう。 いただいた名刺の肩書きも“designer”ですし、ね。 ▲
by kabuhaus
| 2008-09-14 14:30
2007年 10月 29日
![]() A: そうそう、なぜかわかっちゃうんですよねぇ、これが。 K: もちろんここでの“建築家”っていうのは、そういう意識を持つ設計者って言う意味で、建築学科を出てりゃいいとか1級建築士かどうかってこととは関係なくね。でもほんと、かなりの確率でわかっちゃうよね建築家設計の住宅かどうか。 A: ただ、微妙な場合もあるけどね。 K: 「ん?これってどっちなん?」ってやつでしょ。いろんなパターンがあると思うけど、そこそこ建築家としての意識と資質のある設計者の設計とか。 A: 建築家が事業主に“設計を売った”ってのもあるよね、基本設計だけやって後はご自由にって感じ。あと、建築家は最後まで監理するつもりが意見の対立で建築家の手を離れちゃったとかね。 K: この間、そういう微妙な建築の建主さんが、なんのてらいもなく言ってはったんやけど・・・・・・・・「ここ、建築家の〇〇さんに設計してもらってたんですが、内外装の仕上げでどうしても意見が合わないので契約破棄して、頭に入ってたプランのままで他の設計者に設計してもらいました。」・・・・・・・・ってそりゃあ、あかんやろ。 A: えーっ?なにそれ? K: まぁ、詳しいことはわからんけど、世間の感覚ってそんなもんなんかもしれんけどね。ありがちやけど、ひどい話やね。 A: そんなことがまかり通るんやったら、有名建築の資料を渡して「このまま建ててちょうだい。」とかも有りになっちゃうってこと? K: 「住宅やから個人で楽しむだけの使用です。」とかなんとか言ってね。でも将来売却の可能性もあるやろうし、それ以前に著作権の問題があるでしょうに。確かに建築ってそのあたり未整備やけど。 A: 倫理観に任せるしかないってこと? K: いやまぁそれを言い出すと、すべてが“信頼関係”って話になっちゃうよね。ここではそれ以前の“無知”ってことでしょ。行き着くところは、みんなもっと“住まい”ぐらいの基本的な事柄については考えていきましょうってこと。 A: 住まいについて、意識する。考える。そこからやっていかないとね。・・・・・・ところでタイトルの答えは? K: なぜわかるかって?・・・・・・住宅いっぱい見てたらわかってくるんちゃう? A: ・・・・・・・・・・そんな答えやったらタイトルに質問含ませたらあかんでしょうに。 ▲
by kabuhaus
| 2007-10-29 17:24
2007年 10月 06日
![]() ウチの田舎の家。と言っても僕は住んだことは無く、亡くなった祖父母の家。2年前に祖母が102歳で亡くなってからは空き家。入院前まで一人暮らしをしていた5年前の状態のまま、なぜか放ったらかし。 倉敷のはずれにあるこの土地を売却するっていうことで不動産業者さんと交渉のため現地へ。 何年ぶりかに見てあらためて驚いたのが、座敷の建具が木製雨戸と障子のみ。いくら瀬戸内の温暖な気候とはいえ少々無茶な。ま、川に面していて侵入者の心配が少ないってこともあったのか・・・・今残ってるのは離れで、やや安普請だからなのか(母屋は30年近く前に取り壊したので)・・・・ ![]() なんにしても障子をガラス戸になぜ代えなかったのか・・・・今となっては謎です。 あ、購入希望の方はご連絡くださいね。土地代として二千数百万円ってところでしょうか。 ▲
by kabuhaus
| 2007-10-06 23:16
2007年 09月 30日
![]() K: 建築家設計の新築住宅を選ぼうが、ハウスメーカーや工務店の新築住宅を選ぼうが、中古住宅・マンションをリノベーションしようが、建売住宅や新築マンションを購入しようが、場合によったらセルフビルドで自宅を建設しようが、要は住まい手次第なわけでしょ。 A: 例えば大手ハウスメーカーには大手にしかできないすばらしい方向性があるわけやけど、その方向性(プレファブリケーション住宅としてのデザインの洗練とか)をいい方向に導くのもやっぱり住宅を購入する“住まい手”なわけやもんね。 K: そう、いつまでも工業化住宅の特性を打ち消すような“見せ掛けの豪華さ”をハウスメーカーに求めるのはデザインの方向性を歪曲させちゃうかもね。 A: デザインには正解なんてないわけやけど、あきらかに“稚拙なデザイン”っていうのは存在するわけやから、そのあたりを見極める目をみんなで養っていかないとね。 K: そうじゃないといつまでも、10年20年で“飽きてしまう家”や“恥ずかしくて他人に見せたくなくなる家”が減らんよね。で、住まい手の嗜好が肥えることでそれぞれの方法における設計者のデザインの質も上がって行かざるを得んようになるからね。 A: そう、それを実現するためにも一人ひとりが住まいについて“勉強”までいかなくても、せめてもっと“考える”っていうことをやっていかないとね。 ▲
by kabuhaus
| 2007-09-30 16:21
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