・・・・ロングジャンプではない。」やっぱりそうやったんか・・・・

『村野藤吾建築設計図展“アンビルト・ムラノ”』関連シンポジウムでの建築家・宮本佳明氏の言葉。「仕事によってバーの高さを決めてから設計する。」みたいな話。走り幅跳び的感覚の設計は無責任ってことなんでしょう。着地点を決めずに設計しちゃった建築が“なんじゃこりゃ?”ってことになるわけなんですね。
福田晴虔氏の“開かれた建築”という意味での村野とルネサンスの類似性という話も興味深かったけど、宮本氏の話にあった、宝塚に氏が“村野村”と名づけた村野事務所設計の住宅が多数あった地域が存在したということ。やっぱり村野藤吾の自邸もあった宝塚(宮本氏の地元でもあるわけですが)における村野の存在感っていうのは並外れていたってことなんでしょう。
宮本氏の質問に福田氏が答えておられたのですが、あれだけ“関西に根ざした建築家”である村野藤吾、関西弁は操っていなかったそうです。やっぱりそうなんか。