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2008年 06月 14日
![]() 藤本壮介が『青森県立美術館』のコンペのプレゼンで言ったという「弱い建築をつくりたい。」という考え方については、“負ける建築”や“建築を消す”などという考え方とは異なる肌触りを感じるものの、それらの“言葉”と同様に違和感がないわけではない。ただ、「人工と自然のあいだとでもいうべき、新しい建築のあり方を模索する。」っていうふうに言われれば、ああ、そういうことならわかる気がするって思える一方で、建築家に対しては建築家でしかありえない建築を求めてしまう自分もいるわけなので、「つくられたもの」を超えた「できてしまったもの」をつくりたいなんてことを建築家に言われたら少し不安になってしまうかも。 もちろんそれは高度な「偶然性」や「曖昧さ」を操る形式を建築家がつくりだした上での話と言われても、設計を進めていく段階で依頼者も不安になること請け合い。 もうそうなったら判断基準は“信頼できる建築”かどうかということではなく、“信頼したくなる建築”かどうかってことでしょう。それはつまり“信頼できる建築家”かどうかっていうところに行き着くんでしょうね、結局。
by kabuhaus
| 2008-06-14 22:32
| 建築
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