“フロッタージュとは、木や石など凹凸のある素材の表面に紙をあて、鉛筆や石墨でその地肌の像を擦り出す。シュルレアリストのマックス・エルンストが1920年代に発見した手法で、コラージュとともに、自己表現の意味を大きく変えた手法として知られている。これに発想を得て、1970年代、日本の都市の道や壁や電柱に紙をあて、無数のアーバン・フロッタージュを採取した青年がいた。これは、その途方もない作業の記録である。”(本書・扉より)
アーバン・フロッタージュ・・・・都市(もし本当にそのようなバケモノが存在するのなら)の影なのか切り抜きなのか。ベンヤミンが都市(もし本当に過去にもバケモノが存在したとして)の断片を記し、アジェが都市としてのパリ(もし本当にParisがそのようなバケモノだったとして)を切り撮る。真壁智治は都市を‘見た’のか己を都市に映したのか。
抽象絵画のようにながめていると時として‘現実’を感じてしまう。それが都市なのか。